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一年の終わり

今年も残すところ1日、1年を振り返ると今年はあまり良い撮影に出会わなかった、そんなような気がします。
そんな中の1年のダイジェストを簡単に振り返ると・・・
・1月:木次ラッセル、梅貨、大タでの入換撮影
・2月:山陰ラッセル、ダイヘン特大、宮崎トワイライト
・3月:ダイヤ改正に伴う、ワム80000貨物と日本海の廃止
・4月:雪景色のおろち号から桜の岡見貨物、紀勢貨物
・5月:DD51牽引の播但工臨、紀勢貨物、上野工臨
・6月:殆ど何もしていない
・7月:紀勢貨物、復活まりも号、小浜線特大輸送
・8月:真夏の岡見貨物とDD51牽引の播但工臨
・9月:サロンカーなにわ鉄道クルーズ
・10月:山陰トワイライト、山陰西部でのロングレール輸送
・11月:山陰、播但、木次ラッセル試運転
・12月:紀勢西線サロンカーなにわ
例年に比べると出かける回数も減っているようにも思えます。
来年の改正では紀勢貨物の廃止も話しに上がっており、ディーゼル機関車ばかり撮影している私にはいよいよ終焉が近づいているようにも思います。
ま、先の事はどうなるや分かりませんが、今年1年当ブログの応援して頂いた皆様にお礼申し上げます。
また、来年も変わらず撮影し更新が続いてるようであれば、宜しくお願い致します。

画像はガキの頃、冬の北海道へ出かけた折に、倶知安で停車していた客レを撮影した1枚です。
国鉄時代
1985.1 函館本線 倶知安

20系だいせん

国鉄末期の大阪駅の朝は、方々から色々な列車が到着し見る目を楽しませてくれた。
特急列車にはすべてヘッドマークが取付されていたが、急行列車となると装飾も無いシンプルなスタイルだった。
しかし、20系寝台車牽引の"だいせん"号は、その昔の特急を彷彿させるような列車で12系座席車や14系寝台車とは違う、丸みを帯びた車体が如何にも風格漂う…、ガキだった私にもそんな風に感じとれた。
国鉄時代
1985.8 東海道本線 大阪

1980年宝塚駅

その昔私がまだ小学生だった頃、婆の家に行くのに夏休みになると福知山線経由の列車に乗車していた。
旧型客車牽引の普通列車やキハ28.58の急行だいせん、丹波なんかに乗車したが、この時は大阪9時50分発益田行きの『だいせん1号』だった。
乗車したのは普通の座席では無く、子供心に中間に連結してる運転席の助手席を態々狙って乗った。
座席の足元にはタイフォンのペダルがあり、走行中勝手に鳴らし車掌に注意された(笑)
当時の福知山線は全線非電化で単線路線ばかりで、時々列車同士の交換が見られたが、交換の度に親父のカメラを下げて撮影した記憶が蘇る。
この画像も交換時に撮影したもので、色々なサイトで過去画を見比べると中線は撤去されてる物の場所は宝塚だと思う。
画像ではホーム外が工事中で大阪-宝塚の電化工事が始まった頃だと思うし、信号機も腕木信号から変わってるので1980年だろう。
国鉄時代
1980.8? 福知山線 宝塚

お座敷列車 江戸

お盆休みとなると今や撮影する列車も無く暇を持て余してしまいますが、その昔山陰本線が客車王国と呼ばれ日に何往復も餘部橋梁を通過して行った。
今から25年前、当時学生だった私は18キップを片手によくこの地へ撮影に出かけたが、この年の帰省列車に"お座敷山陰路"と言った名の列車が走っていた。
さて、どんな車両を使うのかと思いお立ち台から餘部橋梁を望んで列車を待った。
来たのは、江戸と呼ばれるお座敷列車で初めて見る車両に斬新な気持ちとなった。
この車両も私が復活するまでに既に廃車となっていたようで、最初で最後に見る車両となった。
さらに、餘部鉄橋も今年8月12日からコンクリート橋梁として共用開始されたようです。
国鉄時代
1986.8 山陰本線 鎧-餘部

急行だいせん

当時、山陰へ出かける時はよく利用した急行"だいせん"で大阪から福知山まで乗車し、福知山で普通"山陰"に乗り換えていた。(山陰廃止までは)
現地での行動が早朝から出来るので効率が良かった。
そして帰りは色々行った後、福知山まで旧客に揺られ、そこから大阪までの帰路はだいせんを利用していた。
画像は山陰本線の城崎電化開業の数日前の物で、下線柱が写り込んでいる。
国鉄時代
1986.10 山陰本線 福知山
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